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新旧所長対談 

新旧所長対談 

寺内正己 ✕ 福山博之

寺内正己教授がリードしてきた多元研の4年間を振り返り、この4月に研究所長に就任した福山博之教授が思い描くこれからの多元研についてお話を伺いました。(聞き手:小俣孝久 広報情報室長)

小俣寺内先生、4年間お疲れさまでした。
最後の1年は寺内先生にとって想定外だったかもしれませんね。
寺内任期1年で再任するとは思いませんでした。

 ■ ちょっと目線を上げると、共通の方向性が見えてくる

小俣この4年間の研究所運営において、大事にして取り組んだこと、臨んだことを教えてください。
寺内所長にならないと分からないことがたくさんありました。副所長を2年間務めたのですが、その頃にスタートして継続していることと、新たに発生したこと、多元研として必ずやらないといけないと思ったことは2つです。

1つはSRISに多元研から人を出すこと。SRISについては、私が所長になった当初は学内でも他の部局は少し引いて見ている状況で、OBの方からも「本当にやるの?」と心配されていました。SRISに人を出して多元研本務の教員数が減ったので、組織改編して教員を入れ替えました。組織改編にもたくさん意見をいただきました。反対意見もありましたし、「センターの位置づけを考えると、やった方がいい」と賛同してくれた人もいました。「やらなきゃだめだ、でも本当にやっていいのかな?」と悩みながらやっていました。

もう1つは准教授のテニュアトラック制度。若手の任期には厳しい条件を課していますよね。僕は、新しいことを始めた場合は研究成果が出るまでに10年くらい掛かるものだと思ってるんですが、任期は7年プラス3年です。5年目までに成果が出なければプラス3年もないかもしれない。若手研究者がみんな出て行ってしまうのでは、多元研全体の研究力にかかわってくる。そこで、准教授の任期制を考え直すことにしたんです。近い分野の人が理解できるアクティビティを持っている人は、任期を外してやろうと。最初、人事構想委員会で「准教授の任期を全部とっぱらおうか」と言ったら大変な騒ぎになってしまって・・
小俣多元研には50名近いプロフェッサーがいますから、さまざまな意見が出ると思います。その意見を調整してよい方向に落とし込むのは大変だと思うのですが、気を付けていたことはありますか?
寺内反対意見に耳を傾けようとしました。話を聞いてみると、研究分野によっては考え方が全然違うことが分かったんです。本来は一律のルールで進められればよいのですが、研究分野ごとの考え方を大事にして、辛抱強くルールをまとめていくしかないと思いました。

気を付けたのは、少し目線を上げて見てみるということ。水平目線でものごとを議論すると喧嘩になるけど、ちょっと目線を上げて見ると、共通の方向性が見えてくる。常に、その共通の方向性を探ることを心掛けていました。
小俣SRISの件とテニュアトラックは、一番苦労されたことですか?
寺内そうですね、でも、どちらも実際の運用はこれからなんです。特にSRISとの人事交流には、この先いろんなパターンが出てくるので、本部を含めて納得できるような基本ルールを決めておかないといけないと思っています。
小俣時間が経つとうやむやになることもあるので、整理して残しておく必要があるということですね。
寺内SRISセンター長と多元研所長とが押印した覚書が書面で残ってはいるんです。研究科と関連するポストの問題と、それに対する人件費という二重の問題があるんですが、当初の覚書ではそういったことが区別されていなかった。基本ルールが決まっていなかったんですね。そこを区別して整理しておこうという凡その方向性が見えてきたので、福山先生に引き継ぎます。
福山人件費の問題と研究科との関係、そのポジションをどうハンドリングするかということですね。SRISと多元研のどちらが主になるのか、交通整理する必要があります。スッキリした形にしてオーソライズされた文書として残すのが最初の仕事だと思います。
小俣組織にとっては、常に課題や未解決の案件が存在するようですね。
寺内そうですね、常にモヤモヤが残ります。

 ■ 寺内先生は夜寝られていたのかな?

小俣福山先生は、合計で何年間副所長を務められたんですか?
福山村松所長時代に5年、寺内所長時代に4年。
寺内すべてを知っています!
小俣寺内先生が所長を務められた4年間、傍で副所長としてどんな目でご覧になっていましたか?
福山組織の運営というのは迷うことが多いはずなのに、寺内先生は何故こんなに先を見通せているんだろうと、今でもびっくりしています。道がとても明るい、ほとんど反論も出ない形にまとめられるんです。特に任期の後半には、際立って鮮やかないい政策をやられたなと、僭越ながら思っていました。きっと試行錯誤したり、いろんな方に相談したりされていたと思うんですが、傍で見ていて、夜寝られていたのかな?って。
寺内眠れない時期もありました。一晩に何度も目を覚ましたことも。最近はよく眠れるようになりました。
福山寺内先生も仰っていましたが、副所長レベルでは分からない部分がたくさんある。今はそれが、薄々分かりつつあって怖いですね。
寺内かなり不確定な部分も含めて、三役会議では話していたんですが。
福山もちろん三役会議でオープンにされていますが、その時点で、寺内先生の中ではすでに揉まれていて、基本が出来上がっていたように見えていました。三役会議で、まったくのゼロベースで相談するという事態にはあまりならないという意味です。私たちにも表層は見えているけど、深い海の下の方は見えていないんじゃないかな。
小俣氷山の一角的な?
福山そうそう。全てのトピックはシェアされているけど、ひとつひとつの深みが全然違うんです。

 ■ 福山先生ってどんな人?

小俣2年間は副所長同士として、4年間は所長と副所長の関係でご一緒されて、寺内先生から見て「福山先生ってこういう人なんだ」と初めて気が付かれたことってありますか?
寺内研究分野も違うし建物も遠いというのもあって、三役になるまでは、福山先生という名前は知っていて、どういう人かよく知らなかったし、直接話したこともあまりなかったんです。
所長になると、ことあるごとに挨拶を頼まれます。海外の協定校との国際会議では、最初に僕が挨拶をして、福山先生がクロージングでお話しされることがよくありました。福山先生は、会議の中身をちゃんと聞いていて、その内容を取り入れてクロージングされるんです。それがすごい!ものすごく印象が強かったです。

いろんな仕事を頼むことがありますが、福山先生が仕事で詰まっているのをまだ見たことがないんですよ。どこまでできるんだろう?福山先生に関しては、まだまだ分からないです。
福山過分なお言葉だと思います。
小俣寺内先生が副所長や所長補佐を人選されるときには、どんなことを重視しましたか?
寺内組織が大きいと、経験ゼロで三役を務めるのは無理だと思ったので、ある程度の経験と研究分野のバランス、この両方を重視しました。実際やってみると、三役じゃないと分からないことが多いということが気になり始めたのですが、出ては消えていく未確定な情報全部を教授会で説明していたら、毎回大騒ぎになるのは目に見えていますよね。そこで、最後の1年に三役の入れ替えをやってみました。
小俣うまくいったことの1つですか?
寺内新しい人に入ってもらえると、将来に繋げられますよね。反対意見もありましたが、やってよかったと思っています。
福山Next Generationみたいな若い先生方に三役を経験してもらうという意味で、世代を若返らせたのがよかったですね。

 ■ SRISとソフトマテリアル研究センターを呼び水に

小俣福山先生、先輩の所長を傍で見てきて、これは大事にしていかなくちゃと思っていることはありますか?
福山村松先生は、東北に放射光施設を誘致するところから尽力されて、東北大学がナノテラスに対して、教育やリサーチ、国際連携を司るSRISを立ち上げるところまでもっていかれました。多元研に遺された資産、成果としてすごく大きいと思っています。

寺内先生は電子顕微鏡ですよね。ナノテラスは国のものだけど、電子顕微鏡は、多元研の中に技術も資産もあります。クライオ電子顕微鏡をリースで導入した際には、ハードウェアだけでなく、測定してその結果を解釈して人に伝えることができる人材も引っ張ってきた。電子顕微鏡の分野をソフトマテリアルの方向にも広げて、バーチャルな組織「ソフトマテリアル研究拠点」を作られて、この4月には多元研のセンターとして正式に発足します。その構想力がすごいです。

村松先生が尽力されたSRIS、寺内先生が重点を置かれたソフトマテリアル研究センター、この2つを呼び水にして、多元研の研究と産学連携に恩恵があるように持っていきたいと考えています。
寺内僕はその実働部隊だったんですよ。クライオ電子顕微鏡の導入は、高田先生が「海外の放射光施設にはある、だから東北大にも」と言ったのがきっかけですし、「ソフトマテリアル研究拠点」は、村松先生が名付けたんです。こういう名前って今までなかったねって感心される、いい名前なんですよ。
小俣所の運営というのは、そうやって代々引き継がれていくんですね。