"
プレスリリース
世界初のATPプロドラッグによる健康寿命延伸の新しい可能性 ―ミトコンドリア活性化によりエネルギー代謝不均衡を改善する生体エネルギー分子治療の提案―

ポイント

  1. 老化に伴いミトコンドリア機能が低下し、ATP(アデノシン三リン酸)(※1)産生やエネルギー代謝が低下することで多くの組織の機能不全が引き起こされる。エネルギー代謝の低下を抑制・回復する技術が求められているが、ミトコンドリア機能や細胞内ATP濃度を上げる薬剤開発は困難であった。
  2. 細胞内ATPを効率的に増やせる世界初の核酸プロドラッグ(※2)を開発した。この化合物は、ヒト皮膚細胞のATP濃度が最大約3倍に増加し、モデル生物である線虫の寿命を24%延長することを見出した。
  3. 老化によるエネルギー代謝の不均衡を調整する新しいアプローチであり、高齢化社会における健康寿命延伸や加齢性疾患予防につながる可能性を有する。

概要

体内のエネルギー需要と供給の不均衡は老化や加齢性疾患と関連しています。ミトコンドリアは生体のエネルギー通貨であるATPの供給を行いますが、老化によってミトコンドリア機能が低下し、様々な細胞や臓器でATPレベルの低下が起こります。しかし、ミトコンドリア呼吸(※3)を活性化し、低下した細胞内ATPレベルを回復させる薬剤は世界的にみてもほとんどなく、ミトコンドリア活性化薬開発は挑戦的な研究テーマのひとつです。

今回、九州大学などの研究チームは、ミトコンドリアを活性化して細胞内ATPレベルを向上させ、抗老化作用を示す新物質の開発に成功しました。開発されたのは新規核酸プロドラッグで「proAX(プロアックス)」と名前を付けた化合物です。本研究チームは、このproAXが細胞エネルギー代謝活動やストレス耐性を高め、モデル生物である線虫(※4)の寿命を延ばすことを実証しました。

九州大学先導物質化学研究所の穴田貴久准教授、工学府博士課程の河原道治氏、田中賢教授を中心とする研究グループは、新規核酸プロドラッグを設計・合成し、その機能評価を行いました。開発したproAXをヒト線維芽細胞に添加すると、細胞内ATP濃度が24時間以内に濃度依存的に上昇し、最大で対照の約3倍に達することが確認されました。また、proAX処理により細胞内のエネルギーセンサーであるAMPK(※5)が活性化し、脂肪酸酸化が促進されました。さらに、有害な活性酸素の発生が抑えられ、細胞の酸化ストレス(※6)耐性が向上することがわかりました。このプロドラッグを線虫に投与すると、線虫の平均寿命が24%延びることも見出しました。

本成果は、老化に伴うエネルギー代謝低下という根本課題に対処する新しい可能性を示しています。細胞のエネルギー代謝の不均衡を抑制・回復する本アプローチは、健康寿命の延伸に寄与する新たな方法となる可能性があります。本研究チームは、マウスなど哺乳類でも効果を検証し、安全性や有効性を評価していく予定です。将来的には、この技術を応用した創薬によって老化抑制や加齢疾患予防につながる製品の開発を目指します。

本研究成果は、米国化学会の学術誌 Journal of the American Chemical Society に2025年6月13日付で掲載されました。

本研究のグラフィカルアブストラクト
proAXは細胞内で変換され、ミトコンドリアを活性化し、ATPを上昇させる

研究の背景と経緯

健康寿命の延伸は、超高齢化社会における大きな社会的課題のひとつです。老化の一因として、体内のエネルギー代謝を担うミトコンドリアの機能不全が挙げられます。生命のエネルギー通貨分子であるATPの大部分はミトコンドリアから供給され、生命活動の基本エネルギー代謝を支えています。ATPはエネルギー通貨としてだけでなく、タンパク質恒常性維持にも関与すると考えられてきており、ATP低下は細胞機能維持に影響を与える可能性が示唆されています。ATPは、あらゆる生物が生きるために細胞内で大量に産生、消費している生物界における普遍的分子ですが、エネルギー代謝は非常に複雑で、人為的、薬理学的に細胞内ATP濃度を調節することは依然として難題です。例えば、ATPそのものを薬として投与しても、その血中安定性や細胞膜透過性の低さから、細胞内ATPレベルを上昇させることは困難です。したがって、ミトコンドリアを活性化し、老化や疾患によって低下した細胞内ATPレベルを回復させる薬剤の開発は、挑戦的な研究テーマのひとつです。

研究の内容と成果

九州大学先導物質化学研究所の穴田貴久准教授、工学府博士課程の河原道治氏、修士課程の嶋田大聖氏、黒田遼太朗氏、先導物質化学研究所の小林慎吾准教授(現 徳島大学)、田中賢教授の研究グループ、東北大学多元物質科学研究所の永次史教授、岡村秀紀助教(現 岡山大学薬学部)の研究グループ、九州大学病院の國崎祐哉教授、瀬戸山大樹助教の研究グループ、京都大学医生物学研究所の中台枝里子教授の研究グループは、細胞内で代謝されて効果を発揮する核酸プロドラッグ(proAX)の開発に取り組みました。この分子はアデノシン一リン酸(AMP)に脂溶性の保護基を結合させた構造をしており、細胞膜を通過できます。この分子は、細胞内に入ると酵素反応と加水分解反応でアデノシンリン酸類(AMP、アデノシン二リン酸(ADP)およびATP:これらを総称してAXPと呼びます)へと変換されます。さらに、細胞内で一時的にAMP濃度が上昇することでエネルギーセンサータンパク質であり、ミトコンドリア機能制御に関連するAMP活性化キナーゼ(AMPK)を活性化することを予想して分子設計を行いました。

実験では、ヒト皮膚線維芽細胞にproAXを添加し、24時間後のATP量を測定しました。その結果、解糖系から酸化的リン酸化(OXPHOS)へのエネルギー代謝シフトが起こり、添加していない細胞と比べてATP量が最大で約3倍に増加することを確認しました。この際、細胞内エネルギー代謝の不均衡を起こすことなくAMPKが活性化し、脂肪酸のβ酸化経路が促進されていました。また、細胞の酸化ストレス耐性も向上していることがわかりました。

続いてモデル生物の線虫C. elegansを用いて効果を検証しました。proAX投与によって線虫の個体レベルでATP量が上昇していることが確かめられ、有害な活性酸素(ROS)の発生が抑制されました。さらに、高濃度の活性酸素種産生剤(パラコート)曝露下での生存率向上など、ストレス耐性の改善も観察されました。次に数百匹規模で線虫の寿命試験を行ったところ、proAXを与えた群では無投与群に比べて平均寿命が24%延びることが明らかになりました。なお比較として、AMP、ATP、既存のAMPK活性化剤(AICAR)を線虫に与えても寿命延長効果は見られず、本薬剤のプロドラッグ化による有効性と既存薬物に対する優位性が示されました。

図1 本研究で開発したプロドラッグの効果の概念図
開発したproAXは細胞に取り込まれ、AMPKやミトコンドリア呼吸の活性化により細胞内ATPレベルを上昇させる。また、酸化ストレス耐性を向上させる。これらの複合的な効果により、寿命延長効果を示す。

今後の展開

今後はこの核酸プロドラッグの効果をマウスなど哺乳類で検証していく必要があります。現在、マウスを用いた安全性評価や薬理効果試験の進行中であり、数年以内に動物モデルでの有効性データを収集する予定です。実用化までには、安全性の確立、人への投与法の開発、製造コストなど多くの課題がありますが、本研究チームでは将来的に本技術をもとにした生体エネルギー分子治療コンセプトにより人間の老化や加齢疾患を抑制できる製品の開発を目指しています。5~10年後の臨床応用を視野に入れ、産学連携や特許出願も進めながら研究開発を加速させています。

用語解説

(※1)ATP(アデノシン三リン酸): 生体内のエネルギー通貨とも呼ばれる高エネルギー結合を有する分子。細胞が活動する際のエネルギー源として利用される。
(※2)プロドラッグ:体内に投与された後、酵素反応などで活性な薬効成分に変化するよう設計された化合物。細胞膜透過性向上、副作用の軽減などの利点がある。
(※3)ミトコンドリア呼吸:ミトコンドリア内膜で行われる電子伝達系および酸化的リン酸化(OXPHOS)からなる呼吸過程。電子伝達系により形成されるプロトン駆動力を利用して、ATP合成酵素がATPを合成する。
(※4)線虫Caenorhabditis elegansC. elegans): 体長1mmほどの線形動物。老化研究のモデル生物として広く利用されており、平均寿命は2~3週間程度。
(※5)AMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK): 細胞内 ATP/AMP 比の低下を感知して活性化し、ATP 産生経路を促進する一方、ATP 消費が大きい同化経路を抑制する。
(※6)酸化ストレス:活性酸素種(ROS)の産生と抗酸化システムのバランスが崩れ、ROS が過剰となった状態を指す。過剰な ROS は DNA・脂質・タンパク質を損傷し、老化や各種疾患のリスクを高めると考えられている。

謝辞

本研究はJSPS科研費 (JP23K18580, JP19H05720, JP22K19759)、AMED橋渡し研究シーズA(A276)、人と知と物質で未来を創るクロスオーバーアライアンス(文部科学省)、JST次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2136)、長瀬科学技術振興財団の助成を受けたものです。

 

論文情報

“A Nucleic Acid Prodrug That Activates Mitochondrial Respiration, Promotes Stress Resilience, and Prolongs Lifespan”
Takahisa Anada,* Michiharu Kawahara, Taisei Shimada, Ryotaro Kuroda, Hidenori Okamura, Daiki Setoyama, Fumi Nagatsugi, Yuya Kunisaki, Eriko Kage-Nakadai, Shingo Kobayashi, and Masaru Tanaka*
*: corresponding authors
Journal of the American Chemical Society
DOI:10.1021/jacs.5c06772

 九州大学
京都大学
 東北大学
生命機能分子合成化学研究分野(永次研究室)

問い合わせ先

<研究に関すること>
九州大学 先導物質化学研究所 
准教授 穴田 貴久(アナダ タカヒサ)
TEL:092-802-6238 FAX:092-802-6238
Mail:takahisa_anada*ms.ifoc.kyushu-u.ac.jp(*を@に置き換えてください)

東北大学 多元物質科学研究所
教授 永次 史(ナガツギ フミ)
TEL:022-217-5633
Email:fumi.nagatsugi.b8*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

<報道に関すること>
九州大学 広報課
TEL:092-802-2130 FAX:092-802-2139
Mail:koho*jimu.kyushu-u.ac.jp(*を@に置き換えてください)

東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
TEL:022-217-5198
Mail:press.tagen*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

京都大学 広報室 国際広報班
TEL:075-753-5729 FAX:075-753-209
Mail:comms*mail2.adm.kyoto-u.ac.jp(*を@に置き換えてください)