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プレスリリース
薄膜の微小領域だけ磁石にできることを実証 -高密度スピントロニクス素子への利用に期待-|走査プローブ計測技術研究分野

発表のポイント

・遷移金属ダイカルコゲナイド*1原子薄膜の反りでナノスケールの局所領域で磁性が発生することを実験で検証
・遷移金属ダイカルコゲナイドである二セレン化ニオブの劈開表面に原子厚さを持つ1T相*2と呼ばれる原子構造の薄膜が出現。
・1T相の薄膜中の膜が反って曲面になった部分でのみ強いYSR*3(Yu-Shiba-Rusinov)状態が観察され、これが歪由来の磁性であることを検証した
・薄膜の曲がりを制御して磁性をオン・オフできる能力は今後のナノ領域での磁場制御に貢献できる

概要

 近年電子が持つスピンの自由度の利用が注目されており、スピントロニクス素子、あるいは量子コンピュータの情報の単位であるキュービット*4にスピンの利用などが盛んに研究されています。その制御には磁場の印加は欠かすことのできない手法ですが、先端デバイスではナノスケールの局所磁場が要求されます。局所的に磁場を制御することは簡単ではなく、例えば磁性を持った金属原子を配置することが考えられますが、その位置制御手法や磁場のオン・オフを実現することは容易ではありません。層状物質であり、原子数層の電子材料として注目される遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)はストレスをかけて格子が歪んだ場合、磁場が発生するという理論予測がなされています。しかしナノスケールでその様な歪を発生させる手法、および磁場が生じていても検知する分析手法がなかったのが現状です。
 東北大学多元物質科学研究所のS.M.F.シャヘド助教と米田忠弘教授らのグループは、TMDの一種である二セレン化ニオブ(NbSe2)を用い、薄膜が曲がると局所的に磁石として振る舞うことを実験的に検証しました。NbSe2は低温で超伝導特性を示しますが、走査型トンネル顕微鏡を用いたトンネル分光を利用すれば、超伝導状態に特徴的な超伝導ギャップが観察可能です。そのとき磁性を持つ原子が近くに存在すると、ギャップ内部にYSRと呼ばれる磁場による散乱状態が観察され、この状態の検知は局所的磁場センサーとして用いることができます。NbSe2を劈開した表面上に、1T相原子構造をもつ厚み一層の島が観察されましたが、その薄膜の一部で平坦ではなく曲面になっている場所が見つかりました。その箇所でトンネル分光を適用したところ、曲面の一部、最大の曲率をもつ箇所において明瞭で強度の強いYSRピークが観察されました。これは薄膜を曲げて、2 nm程度の微小領域にのみ局在する磁石を作成したことになります。局所的な曲がりの制御は同じ層状物質のグラフェンではすでに盛んに行われ、グラフェン・オリガミという研究テーマとして、直接的には走査プローブ顕微鏡の探針でグラフェンシートをナノメータースケールで切り、片方を持ち上げて折りたたむ実験はすでに示されており、またナノリボンとよばれる短冊状の原子層の片方にのみ電場を印加して静電力で機械的な曲げを生じさせる手法も議論されています。本発表の成果は薄膜の歪や曲げを利用したナノ領域の局所磁場の制御に応用可能と期待されます。
 本研究成果は、2022年6月6日(英国時間)に英国王立化学会の学術誌「Nanoscale」にオンライン掲載されました。

詳細な説明

背景
 近年、エレクトロニクスにおいても電荷だけではなく電子が持つスピンの自由度の利用が注目されており、スピントロニクス素子、あるいは量子コンピュータの情報の単位であるキュービットにスピンの利用などが盛んに研究されています。スピンの応用に磁場による制御は欠かすことのできない手法ですが、先端的な技術への応用には素子全体に印加される磁場ではなく、ナノスケールでの局所磁場が必要です。局所的に磁場を発生させるのは容易ではなく、例えば磁性を持った金属原子を目的の位置に配置することが考えられますが、その位置制御手法や磁場のオン・オフは困難です。一方新しい電子材料として、グラフェンや二硫化モリブデンをはじめとする遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD)層状物質が注目されており、原子レベルの厚さをもつチャンネル材料として電界効果トランジスタ等利用されています。物性的にも興味深い振る舞いを示し、たとえばストレスをかけて格子が歪んだ場合、磁場が発生するという理論的な予測があります。大変興味深い予想ですが、ナノスケールでその様な歪を発生させる手法、および磁場が生じていても検知する分析手法がなかったのが現状であり実際の磁場制御には至っていませんでした。

成果
 東北大学多元物質科学研究所のS.M.F.シャヘド助教と米田忠弘教授らのグループは、TMDの一種である二セレン化ニオブ(NbSe2)を用い、表面に存在する1T相の原子厚さを持つ薄膜に注目し、その薄膜の平坦でない曲面部分で磁場が生じていることを見出しました。これは1T相の薄膜を曲げることによって2 nm程度の微小領域でのみ磁石に変化したという現象であり、今後ナノスケールの磁場の制御に用いられる可能性を示しています。
実験にはNbSe2試料を劈開したものを用い、0.4Kの極低温において、走査トンネル顕微鏡を用いて行いました
 TMDである超伝導体NbSe2の構造を図1(a)に示しました。2H相と1T相が知られていますが、2H相がエネルギー的に安定であり大部分はこの相の構造を示します。2Hでは低温で電荷密度波(CDW)*5の超格子構造3×3構造が観察されますが、そのSTM像は図1(b)に示すような周期構造を持ちます。
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図1 超伝導体NbSe2の格子。上下のセレン層(小さい球)に挟まれたニオブ層(大きい球) (a) 2H相と(b)1T相 。各層は3回対称の最密充填構造を持ち2H相ではセレン層の原子の方向が上下層で同じ方向であるが、1T相では180度回転している、(c)2H相で見られる3×3 CDW超格子構造のSTM像。

 しかし表面の一部には1T相が出現します。その様子を図2(a)に示します。1T相の島が明るく観測され、周辺には2H相の3×3 CDW構造が一層下に見ることができます。島は√13×√13 R13.9o のCDW超格子構造を示しており、周辺から原子一層の高さ盛り上がっていることから、1T薄膜と呼ぶことができます。超伝導特性においてもこの2つの相は異なった特性を示し、図2(b)に示すのはそれぞれで観察されたトンネル分光の結果であり、超伝導ギャップが準粒子に挟まれて観察されています。ギャップの幅は1T相で2H相よりも小さく観察されました。より高分解能のSTM像は図2(c)に示しますが、島が基盤と整合していることが観察されました。
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図2 (a) 劈開表面で観察される1T相の島(明るく観察される)。周辺は2H相の3×3 CDW構造。島は√13×√13 R13.9o のCDW超格子構造を示しており、周辺から1層分高く観察される。(b) 1T相と2H相で測定したトンネル電子分光。準粒子に挟まれた超伝導ギャップが観察されるが、ギャップエネルギーに違いが見られる。(c)島と周辺の高分解能像

 この島の内部構造を高分解能で観測した像、平坦な部分に加えて、薄膜が反って曲面となっている部分が観察されました。それを図3(a)に示しますがA,B,Cの3点で囲まれた領域がドームのように曲面となっていることがわかります。ドーム発生の機構は1T相と2T相の格子定数に違いがあるためそのストレス緩和のために曲面が形成されたと考えられます。そのドーム中央で得られたトンネルスペクトルを図3(b)のIIに示しますが、平坦な1T相でのスペクトルIに比較してピーク位置がIのギャップ内部にシフトし、強度が格段に強く観察されました。これは Yu-Shiba-Rusinov(YSR)ピークと考えられます。YSRピークは超伝導体近傍に磁性原子などの磁性不純物が存在するとき超伝導状態が散乱によって形成される準位であり、磁性センサーとしても利用可能です。したがってこの周辺に磁性が発生していることが考えられます。磁性原子の不純物の存在を検討したが説明できず、1T相薄膜の平坦性が歪められたとき磁性を発生するというモデルで最も妥当な説明ができます。その場所依存するトンネルスペクトルをまとめたのが図3(c)であり、中央で最も強いYSRが観察され、離れるにつれて強度が減少しますが、2 nm程度の微小領域にのみ局在して発生する磁場と考えられます。その減少度合いは非等方的であり、YSRの発生機構である磁場分布が結晶構造に依存するものと考えられます。
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図3(a) 1T相島の高分解能像。ABCに囲まれた領域が曲面を示す。(b)ABCの中央で観察されたYSRピーク(II)。通常の超伝導ギャップ(I)の内部に観察され強い強度を示す。(c) トンネルスペクトルの位置依存性。測定の中央付近で強いYSR信号が観察されている。

 薄膜の歪とYSRの強度から見積もった磁場の強さの相関を調べました(図4)。強いYSRピークが観察された周辺での高さの違いを強調したSTM像を図4(a)に示します。白線の交点で最も強くYSRが観察されますが、。図4 (b)には水平の白線に沿った高さの変化(下)と、歪を見積もるため2回微分(上)をプロットした図を示します。同時にYSR信号の強度を2回微分のグラフに重ねて、丸の大きさとして示してあります。この図で明らかなように歪を表す2回微分の強度と、磁場の強さに強い相関があることがわかります。
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図4(a)強いYSRピークが観察された周辺で高さの違いを強調したSTM像。白線の交点で強いYSR信号が観察される。(b)水平の白線に沿った高さの変化(下)とその2回微分(上)。YSR信号の強度は上のプロットに円の大きさで表現した。

 理論的な報告ではNbSe2の1T相ではNdの4d由来の電子状態で磁性が発生しやすく、同時に平坦面が曲面に変化したとき磁性が生じるという理論報告も見ることができ、今回はこの両方の効果が重なって磁性が発生したと考えられます。

今後の期待
 磁場の制御にはさまざまな提案がなされてきましたが、機械的な「曲げる」という単純な動作で磁場が変化することは、ほとんど利用されていません。局所的な曲がりの制御は同じ層状物質のグラフェンではすでに盛んに行われ、グラフェン・オリガミという研究テーマとして、直接的には走査プローブ顕微鏡の探針でグラフェンシートをナノメータースケールで切り、片方を持ち上げて折りたたむ実験はすでに示されており、またナノリボンとよばれる短冊状の原子層の片方にのみ電場を印加して静電力で機械的な曲げを生じさせる手法も議論されています。同時に機能性分子の研究では光などの刺激で分子の形状が変化することは広く利用されています。それらと組み合わすことでナノスケールの原子層材料での一般的な磁場制御手法に発展すると考えられます。

論文情報

“Observation of Yu-Shiba-Rusinov State Originated from Magnetic Moment in Curved Monolayer Island of 1T-Phase NbSe2
Hossain Mohammad Ikram1, Ara Ferdous1, Shahed Syed Mohammad Fakruddin1, Zhipeng Wang2, and Tadahiro Komeda1*
Nanoscale
DOI:10.1039/D2NR02007F
所属:1. 東北大学多元物質科学研究所, 2. 東北大学大学院理学研究科化学専攻

用語解説

*1 遷移金属ダイカルコゲナイド(TMD): タングステン(W)、パラジウム(Pd)、白金(Pt)などの遷移金属元素 Mと、硫黄(S)、セレン(Se)、テルル(Te)のいずれかのカルコゲン元素 Xとが結合し、「MX2」の化学組成で表される層状構造を持つ化合物。組成によって絶縁体から半導体、金属、超伝導体まで幅広く電子状態が変化する。また、層状結晶をバラバラにした原子レベルの厚さのシートにしても安定で、積層時とは異なる電子状態が発現することもあり、有望な次世代の電子素子として注目されている。TMDはTransition Metal Dichalcodenidesの略。

*2 1T相、2H相: TMDの中に含まれる相。1H相は六方晶系の単位胞をもち、カルコゲンが正8面体的に金属原子を囲んでいるような結晶構造の相。2H相は積層方向にセレン- ニオブ – セレンのように配列して層をなし、各層は ファンデルワールス力でつながった三次元状の結晶構造の相。

*3 YSR: 超伝導は非磁性の不純物には耐性が強く転移温度も大きく変化しないが、磁性不純物に関しては強い影響を受け、その不純物による散乱によってギャップ内に新しい量子電子準位が生じることが知られている。これをYu-Shiba-Rusinov (YSR)状態と呼ぶ。

*4 キュービット: 量子ビットやキュビットとも言う。量子情報の最小単位で、従来の情報量の単位であるビットに対する表現。

*5 電荷密度波(CDW): 電子やイオンの持っている電荷に周期的な濃淡が出来た状態。「波」といっても,「電荷密度波」は普通は固定されていて、空間的にも時間的にも動かない。

関連リンク:
走査プローブ計測技術研究分野(米田忠弘研究室)
東北大学

問い合わせ先

(研究に関すること)
東北大学多元物質科学研究所
教授 米田忠弘(こめだ ただひろ)
電話:022-217-5368
E-mail:tadahiro.komeda.a1*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

(報道に関すること)
東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
電話:022-217-5198
E-mail:press.tagen*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)