発表のポイント
- カプセル状で、内部に他のイオンを内包させることができる新種の銀クラスター(注1)の合成に成功しました。
- 銀クラスター内部にヨウ化物イオンを内包させることで、スピン軌道相互作用(注2)が強化されて重原子効果(注3)を発現させ、発光特性が向上することを見出しました。
- 今回得られた知見は次世代の発光材料や増感剤といった光機能材料の開発に貢献するものと期待されます。
概要
数個から数百個の金属原子が集合した金属クラスターは特異な電子・光学特性を持つことから、発光材料や触媒、バイオイメージング用途などへの応用が期待されています。本研究では、銀(Ag)クラスターのリン光(注4)特性を向上させるために、重原子効果を利用した新規Ag54クラスターの合成に成功しました。
東北大学多元物質科学研究所の根岸雄一 教授は、東京理科大学研究推進機構の新堀佳紀 講師(研究当時)と、インド工科大学マドラス校の研究チームと共同で、中心に異なるアニオン(硫化またはヨウ素 I)を内包するX@Ag54クラスター(X = S, I)を精密に合成し、構造解析および発光特性の評価を行いました。その結果、重原子であるヨウ素を内包したI@Ag54クラスターでは、スピン軌道相互作用が強化され、項間交差(注5)が促進されることで、リン光の量子収率(注6)が16倍向上することを明らかにしました。
本研究は、金属クラスターの発光特性を制御する新たな手法を提案し、次世代の発光材料や増感剤の開発に貢献するものです。
本研究成果は2025年3月3日、ナノサイエンスとナノテクノロジーの専門誌Smallに掲載されました。
研究の背景
金属クラスターは特異な電子・光学特性を持つことから、発光材料や触媒、バイオイメージング用途などへの応用が期待されています。特に、配位子で表面を保護された金属クラスターは、構成する原子数やドーパント元素によって特異な発光特性を示し、基礎・応用の両面で注目されています。しかし、金属クラスターのリン光の量子収率を向上させるための体系的な設計指針は十分に確立されていません。
一方、有機発光材料では、重原子(例:ヨウ素や臭素)を導入することで、項間交差を促進し、リン光効率を向上させる手法が広く用いられています。これは内部重原子効果として知られ、スピン軌道相互作用を強化し、三重項励起状態(注7)の生成効率を増加させることで発光特性を向上させるものです。しかし、金属クラスターにおけるこの内部重原子効果の研究はほとんど行われていませんでした。
本研究では、銀(Ag)クラスターの内部にアニオンを封入することで重原子効果を誘起し、リン光量子収率を向上させる手法を提案しました。具体的には、X@Ag54S20(thiolate)20(sulfonate)m (X, m) = (S, 12) または(I, 11)の組成を持つ銀クラスターX@Ag54(X = S, I)を精密に合成し、その構造と光物性を比較することで、内包アニオンの種類が発光特性に与える影響を明らかにすることに取り組みました。
今回の取り組み
本研究では、まずX@Ag54クラスター(X = S, I)を精密合成しました。具体的には、銀トリフルオロアセテート(Ag(TFA))と銅(II)硝酸塩(Cu(NO₃)₂)を用い、tert-ブタンチオール(tBuSH)の酸化により銀クラスターを形成させました。その後、得られたS@Ag54とI@Ag54を解析し、正確な組成と構造を決定しました。
構造解析の結果、両クラスターはX@Ag54S20(StBu)20(SO3tBu)m (X, m) = (S, 12)または(I, 12)の組成を持ち、中心にアニオンを内包するキャビティ構造を有することが明らかとなりました(図1)。

図1.(A) S@Ag54と(B) I@Ag54の化学組成と幾何構造
次に、発光に関する測定を行ったところ、I@Ag54ではS@Ag54と比べて、リン光量子収率が約16倍に向上していることが判明しました(図2)。この発光増強のメカニズムを解明するため、リン光寿命を測定した結果、I@Ag54のリン光寿命は652.9 nsであり、S@Ag54(106.2 ns)の約6倍長いことが確認されました。また、I@Ag54では放射率定数(kr)がS@Ag54の約25倍に増加しており、これは重原子効果によるISCの促進に起因することが示唆されました。

図2.S@Ag54とI@Ag54の(A) 吸収・発光スペクトルと(B) 自然光あるいは紫外光照射時の溶液試料の写真
さらに、X@Ag54クラスターの安定性についても評価を行いました。その結果、S@Ag54とI@Ag54の熱分解挙動に大きな違いはなく、類似した安定性を示しました。また、分子の衝突に対する安定性評価においても、両クラスターの分解挙動に顕著な違いは見られませんでした。このことから、I@Ag54はS@Ag54と同程度の安定性を持ちながら、大幅に優れた発光特性を示すことが確認されました。
最後に、吸収スペクトルを解析した結果、I@Ag54では500 nm付近に特徴的なショルダーピークが観測されました。これは、重原子効果による三重項状態への遷移が増強された結果であると考えられます。
本研究の成果は、金属クラスターの発光特性を内部に封入する重原子によって制御できることを示しており、新たな発光材料の設計指針を提供するものです。
今後の展開
金属クラスターは光機能材料への応用が期待されています。本研究成果は、金属クラスターを基盤材料とした室温燐光材料や三重項感光剤を開発するための明確な設計指針に繋がることが期待されます。
謝辞
本研究は、日本学術振興会科研費(JP22K04858、JP22K19012、JP23KK0098、JP23H00289)と矢崎科学技術振興記念財団からの助成を受けて実施しました。
用語説明
注1.銀クラスター:数個から数百個の銀原子が集合した微粒子。
注2.スピン軌道相互作用:電子の公転運動回(軌道)の動きと、電子の自転運動(スピン)が、お互いに影響し合うこと。
注3.重原子効果:分子に原子番号が大きい元素を取り入れることでスピン軌道相互作用が強化される現象。分子の発光特性が変化する。特に、リン光を強める効果がよく知られている。
注4.リン光:励起状態からの緩和過程において、スピン反転を伴う発光。一般的に寿命が長く、時計の針や非常口の標識に見られる長時間発光する光もその一つ。リン光と異なる発光原理により短時間光るのが蛍光。
注5.項間交差:分子が光やエネルギーを吸収・放出する際、電子が持つスピンの向きが変更する現象。
注6.量子収率:発光材料が吸収した光子(光の粒)の数のうち放出された光子の数の割合。
注7.三重項励起状態:励起状態は原子や分子の電子が外部からの光や電流によって励起された高エネルギーの状態を指す。全電子のスピンの向きが2つずつ互いに反平行で消しあっている一重項励起状態と、スピンが平行で向きが打ち消しあっていない電子が2つある三重項励起状態がある。電子が励起一重項状態から基底状態に直接電子に落ちる時は蛍光、励起三重項状態を経由する場合にはリン光を発する。
論文情報
“Enhancement of Photoluminescence Quantum Yield of Silver Clusters by Heavy Atom Effect”
秋山葵1、Sakiat Hossain 2、新堀佳紀2,*、大岩一毅1、Jayoti Roy 3、川脇徳久1、Thalappil Pradeep 3、根岸雄一2,4,*(1. 東京理科大学理学研究科、2. 東京理科大学研究推進機構総合研究院、3. Department of Chemistry, Indian Institute of Technology、4. 東北大学多元物質科学研究所)
*責任著者:東北大学多元物質科学研究所 教授 根岸雄一、東京理科大学研究推進機構総合研究院 講師 新堀佳紀(研究当時)
Small
DOI:10.1002/smll.202500700
■ 東北大学
■ 精密無機材料化学研究分野
問い合わせ先
東北大学多元物質科学研究所
教授 根岸雄一
TEL: 090-4200-9467
Email: yuichi.negishi.a8*tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)
(報道に関すること)
東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
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Email: press.tagen*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)