4/23 第3回 界面化学の基礎

講義で使用したスライド, pdf形式606KB)
1.1モルの定義を述べ、かつ物理化学とは何か書け。
(略)第1回参照

2.コロイド分散系と分子分散系。違いは何か?
(略)第2回参照

3.雨が降った後、道ばたには泥水ができている。泥水の中の大きな粒子はやがて沈降するが、小さな粒子はいつまで浮遊していて、濁っている。濾過することなく、透明な水を得るにはどうしたら、いいか。また、それはどういう理由によるのか、説明せよ
まず、濁っているのは何か、考える。
粒子が分散している状態と考えよう。泥が沈んで濁りがとれた状態とはなにか。これも同時に考えよう。前者を「分散状態」にある、といい、後者を「凝集して沈殿した」と言う。
【分散の駆動力=熱運動】
では、これらの駆動力とは何か。
分散状態、でも、凝集状態でも、同じく働いているものがある。それが熱運動であり、コロイド粒子の特徴としてあげられる、ブラウン運動である。重いものは、このブラウン運動をおこさないが、これは熱運動のエネルギーが比較的小さいからである。
つまり、分散状態でも、凝集状態でも同じように熱運動に結びつくエネルギーは与えられている。しかしながら、前者は、分散し、後者は凝集する。違いは何か。
【分散と凝集の違いは、大きさ】
雨と霧を考える。
前者はすぐに地面に落ちてくる。後者は空気中に分散している。
違いは何か。大きさである。大きくなると落ちてくるのは、空気の比重よりも大きいからである。
【大きさが変わるのは変だ】
泥水が濁っているときと、泥となって沈殿したときの比較。
牛乳に食塩を入れてバターをつくるときのこと。
コロイド粒子が分散している状態と、それが凝集している状態。
これらを比較すると、大きさが変わったというのは、厳密にはおかしい。どう考えればいいのか。
結局、分散状態と凝集状態の違いは、前者は粒子がほぼ1個が1個で存在する状態(霧の状態)と、後者は粒子が2個以上結びついて一緒に行動している状態(雨の状態)と考えると考えやすい。
【凝集とは、みかけの大きさが大きくなること】
つまり、凝集によって、"みかけの大きさが大きくなる"から、沈殿したりするのである。
分散と凝集は、何ら化学的変化はないが、単に粒子が単独で行動するか、集団で行動するか、という違いと捉えた方がいい。
霧が雨になるとき、霧が凝集すると一緒になって雨粒になるが、これはあくまでも結果と考えよう。シリカコロイドみたいな、酸化物コロイドが凝集しても、霧と雨の関係にはならない。つまり、シリカ粒子が凝集しても、合一せず、凝集体として行動する。
【分散と凝集のシンボリックな考え方】
結局、つきつめれば、こう考えるといい。



分散するためには、粒子同士が、反発している必要がある。
凝集するためには、粒子同士が、引き合わないといけない。
後者の力としては、分子間力が知られている。

泥水が全部、SiO2(シリカ)であると仮定しよう。
泥水は、親水コロイドであり、逆に言えば、SiO2は、親水性なのだ。
実際、SiO2は、表面が、Si-O-H(シラノール基、silanol)になっていて、溶液中では、Si-O-H → Si-O- + H+(プロトンと呼ばれる) のようにプロトンを出して、解離(dissociation)する。つまり、SiO2の表面は、負電荷になっている。負電荷同士では、反発し合う。
これが静電的反発力と呼ばれるものだ。
溶液中のプロトンが多くなる、つまり、pHが下がるとどうなるか。
上の平衡は、左にずれ、解離しているシラノール基は少なくなる。
つまり、負電荷の度合い=電位は小さくなるに違いない。



上図のように、pHが下がると、電位の絶対値は小さくなる(図は上が−(マイナス))。
pH=2付近で、電位は0(ゼロ)となるが、これを「等電点」あるいは「電荷零点」という(「等電点」と「電荷零点」は異なる概念であるが、ここでは等しいとしてよい)。
電位が0になると、反発力がなくなる。どうなるだろうか。
凝集して沈殿するのである。
こちらの凝集する力は、分子間力を拡張した、van der Waals力という。
以後の展開は、今後の講義で明らかにしたい。

4.書道で使う墨汁は、炭の分散液、コロイド溶液である。なぜ、水と仲の悪い炭が分散しているのだろうか。物理化学的に説明せよ
墨汁は、疎水コロイドで、疎水性の炭が分散しているもの。
分散している理由は、炭の表面に、にかわがくっついているからだ。この「にかわ」自身もコロイドを作るが、こういうものを「保護コロイド」と呼ぶ。
つまり、炭の表面は、すでに炭の性質=疎水性ではなく、にかわの性質となっている。
にかわは、両性であり、炭にも、水にもよくなじむ。つまり、界面活性剤の一種と考えてもよい。
牛乳における、タンパク質=カゼインの役目と同じなのだ。