忘れられない言葉に導かれた旅

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Satoshi’s Essay

「忘れられない言葉に導かれた旅」

1988年の7月ごろ,化学教室の修士二年生だった私は,意を決して指導教官だった安積徹先生の居室に入りました.当時,安積研では化学反応の磁場効果の研究を開始したところであり,私はNMRのプローブ中でラジカル反応を計測するテーマに取り組んでいました.物理化学が好きだった私にとって,スピンハミルトニアンを使った磁場効果の説明や,パルス系列で核スピンの動きを工夫する実験はとても面白いものでした.しかし,面白いけれども,何かが足りないのです.半年以上も迷った末に,この日,博士課程では研究室を変えて生体分子を研究したいと安積先生に相談しました.

先生と話したのは30分ほどだったと思います.先生は開口一番に「それは大変よいことである」と賛成してくださり,「それでは分子科学研究所の北川禎三先生の所に行くといい」と言って,その場で北川先生に電話をかけてくださいました.引き止められるかもしれないと思っていた私は,この時,安積先生が私の判断を心から喜んでくださったことに心底感じ入りました.私の研究者としてのスタートは,この30分間に決まったとも言えます.この時は,私が研究テーマ選びを本気で考えた最初の機会でした.

私が研究テーマ選びを再び意識するようになったきっかけは,渡米中の指導者との会話です.私は,北川先生の指導により学位を修得した後に, AT&Tベル研究所の博士研究員として渡米し,Dr. Denis L. Rousseauの研究室で生体分子の構造とダイナミクスを調べる研究に熱中しました.あるとき,同じ分野の優秀な若手研究者の将来性についてDenisの意見を求めたところ,私の予想に反して「No, he needs a problem to be a good scientist.」という答えが即座に返ってきて驚きました.優秀で活発に論文を書いていても,「problem」と言えるほどの研究テーマを持たなければダメなのだと理解しました.

単身で渡米したので,週末は結構時間がありました.「今日は将来のテーマだけについて考えよう」と決めてさまざまな可能性を書き出したり,生物系の文献を多く所蔵しているラトガース大学の図書館に通って手当り次第に文献を読んだり(閉館間際に文献を見つけ,迷惑そうな司書の方に無理矢理コピーをとらせてもらったりしました),分野外のセミナーにも積極的に参加するなど,大変じたばたしました.ベル研究所にはfMRIを開発された小川誠二先生が居られましたが,ヘモグロビンの研究者として出発された先生が,脳という対象に果敢に取り組んでいるという選択にも圧倒されました.当時の知的欲求と焦燥感が入り交じった感覚は,15年過ぎた現在でも鮮明に蘇ります.

私が研究テーマとして最終的に選んだのは,タンパク質の折り畳み問題です.タンパク質はアミノ酸が一定の配列に従って一次元的に並んだ高分子です.また,一次配列の情報のみを使って,自発的に活性を持つ構造に折り畳まる特性を持っています.勉強を続けるにつれ,この問題は物質科学の立場から生命とは何かを問う重要性を持つことに気づきました.生物学者や化学者は,タンパク質は構造を持つ有機分子であり,折り畳まれて当然と捉えることが多いようです.一方で,高分子の統計力学を基礎とすると,高分子が一定の形をとることは「ありえないほど不思議な現象」と言わざるを得なくなります.理屈では不可能なことを生命は可能にしているとも言えます.この問題には,人生を賭ける価値があると確信するようになりました.

帰国後,私は京都大学と大阪大学においてパーマネントの職を得て,その時々の学生さんなどの多くの方々の協力により成果を挙げることができました.最近では,タンパク質が折り畳まれる運動を一分子レベルで観察する新しい方法を開発したことを研究室の誇りとしています.東北大学では,一分子観察データを基礎とした分子科学としてのタンパク質研究を進めるとともに,タンパク質生合成過程などの生化学的な現象への展開も図ろうと考えています.スタッフとの議論などを通して,さまざまな研究の可能性にわくわくする毎日です.

私が一旦東北大学を離れることとなった理由は,私の求める何かが当時は無かったからなのだと気づきます.そして,その何かを部分的にでも補強することが,私が東北大学に戻る意義だと思います.皆様,どうぞよろしくお願いいたします.

つい先日亡くなられました安積先生のご冥福を,心からお祈り申し上げます.安積先生には,学位修得直後にも進路の相談をお願いしました.留学のタイミングについて,「海外に絶対に行くべきである.半年でも数ヶ月でも早く行った方がよい」との即答をいただきました.このアドバイスが無ければ私は留学しなかったかもしれません.本当にありがとうございました.

この原稿は、東北大化学同窓会報の掲載のため執筆しました。