人工核酸(PDFファイル1・PDFファイル2)
ヒトゲノム計画に代表されるように人間の遺伝的疾患の原因遺伝子の解明やガンを始め様々な疾病の原因遺伝子あるいは関連遺伝子の探索、またウイルス性疾患の発現機構解明のための遺伝子解析などが精力的に行われ、現在多くの病気の遺伝子的原因が明らかにされてきている。それに伴って、遺伝性疾患やウイルス病、ガンなどに対する新しい治療法として遺伝子治療法が大きな期待を集めている。遺伝性疾患とは遺伝子の異常が関連する病気の総称で、ダウン症などの染色体異常、血友病や色盲などの単一遺伝子障害、そして成人病やガンなどの多因子障害が知られている。現在遺伝子治療のターゲットとしては単一遺伝子障害が最も有望視されている。 実際、正式な手続きを経た最初の遺伝子治療は1990年アメリカ国立衛生研究所(NIH)でアデニンデアミナーゼ(ADA)欠損症の患者に対して行われた。この治療法は患者のリンパ球(T細胞)を取り出し細胞外で培養し増殖させ、患者に欠損しているADA遺伝子を組み込んだベクターを感染させることによりADA遺伝子をリンパ球遺伝子に導入する。このT細胞は、患者に点滴により戻され患者の体内でもADAを合成することが出来、一定の成果を納めた。しかしこの療法にもいくつか欠陥があり、そのひとつはリンパ球に寿命があり、ある一定期間後に繰り返しADA遺伝子導入リンパ球の点滴を必要とする点である。このように患者の遺伝子に欠陥あるいは欠損した遺伝子配列を人為的に導入する遺伝子導入法は、遺伝子導入を体内で行う体内法と、ADA欠損症と同様に体外で行う体外法に二分され医学・生化学者により精力的に研究されている。 遺伝子治療にはこのような遺伝子導入法の他に、疾病の原因細胞に特有のタンパク質合成やガン細胞などの増幅に不可欠なタンパク合成を、mRNAの段階で外部から核酸誘導体を加えることにより抑制するアンチセンスRNA法や、より根本的に標的タンパク質のコード領域遺伝子すなわち二重らせんDNAに塩基特異的に結合する核酸誘導体を加えることにより、転写段階を阻害しようとするアンチジ-ン核酸法が検討されている。アンチジ-ン核酸法は大きくアンチセンス法に含まれることも多い。1970年代後半にオリゴヌクレオチドや修飾オリゴヌクレオチドを用いたアンチセンス法の検討により、その有用性が証明され、さらにエイズウイルスに対する興味深い結果も報告されたことから今日では医学分野への応用はもちろん、分子生物学の有効なツールとして広く用いられるようになってきている。これらアンチセンス法は核酸レベルでのタンパク質合成抑制を目的としているため、遺伝子の複製・転写・翻訳のどの過程を阻害することも可能(図-1)で、核酸に非常に高い特異性、特に塩基配列特異性と高い親和性を持って結合する化合物の開発が必要となる。この点から化学者がアンチセンス法に貢献するためのテーマが数多く見受けられる。
アンチセンス分子に求められる性質は数多くあるが、�@高い核酸塩基配列認識能 �Aコンプレックスの高い安定性 �B化学的、特に酵素的な安定性 �C高い細胞膜透過性 �D核酸との特異的な相互作用性 などが重要である。当初用いられた天然型のオリゴヌクレオチドの場合�@、�Aは比較的満足できるものの生体内のヌクレアーゼにより即座に酵素分解されてしまい目的の成果が得られない。一方、今日アンチセンスRNA分子として最も広く用いられている化合物は、通常のホスホジエステル結合を有するオリゴヌクレオチドのリン酸基部の酸素原子を硫黄原子で置換したホスホロチオエート型オリゴヌクレオチド(S-オリゴ)で、S-オリゴはヌクレアーゼに対して比較的強い抵抗性を示し�Bの条件は満足するものの、酸素原子を硫黄原子で置換したためリン酸結合の立体異性体が生じこの異性体間で標的遺伝子に対する親和性が異なる。例えばn量体のS-オリゴを自動合成機で合成した場合、生成するS-オリゴは2n個の異性体混合物となり、標的遺伝子への結合安定性は低下する。また、硫黄原子の疎水性のためS-オリゴの水に対する溶解性は通常のオリゴヌクレオチドに比較して低下し、疎水性タンパク質などとの疎水相互作用も強くなるなどの問題点も報告されている。しかし、現在の多くの研究はこのホスホロチオエート型オリゴマーを用いて行われており、アンチセンス配列を有するオリゴマーのみにアンチセンス効果が観測される報告も多く、その有効性は一般的にも認められている。しかし、このS-オリゴがアンチセンスRNA分子として最適の化合物とは言い難く、他の多くの化合物が設計・合成されアンチセンス機能について検討されている。現在報告されているアンチセンス分子としては図―2に示すような、�@リン酸結合周りを修飾した誘導体 �Aリボ-ス糖部のグルコシル結合あるいは水酸基を修飾した誘導体 �B塩基部を修飾した誘導体 �C糖―リン酸骨格以外の骨格構造を有する核酸モデル分子 などが研究されている。�@についてはS-オリゴ以外にホスホロジチオエート型、ホスホロアミデート型やメチルホスホネート型、さらにメチルホスホノチオエート型オリゴマーなどが研究されている。�Aとしては通常のヌクレオシドが有するβ-グルコシル結合とは逆のα-アノマーも合成され興味深い知見が得られている。また、糖3'―5'リン酸ジエステル結合をリボヌクレオシドを用いて2'―5'結合に変化させた誘導体は、インタ-フェロン処理細胞から得られる2'―5'ポリアデニル酸(2', 5'-A)との関連からも興味深く、通常のオリゴヌクレオチドとハイブリッド形成能が異なることも見出されている。また糖―リン酸ジエステル結合以外を基本骨格とする�Cのタイプの核酸モデルも多数報告されているが、特にペプチド核酸とよばれるペプチド骨格を有する化合物が注目されている。
ペプチド核酸(PNA)は、核酸塩基を導入したアミノエチルグリシンをモノマーとし、アミド結合により縮合した核酸モデルで、相補的な塩基を有するDNA・RNAに対して天然核酸よりも非常に高いTmを示し、さらにミスマッチとよばれる非相補的な塩基が一塩基導入されるだけでTm は大きく低下し、非常に優れた塩基特異性を有する。さらに、ホモプリン・ホモピリミジン系二重らせんDNAに相補的なホモピリミジンPNAを加えると安定な3重らせんを形成するが、興味深いことにDNA二重らせんにPNAが割り込み安定な二重らせんを形成し、剥がされたDNAが3本目の鎖としてDNA―PNA二重鎖に巻き付いていることが明らかとされ、PNAのもつ高い可能性が注目されている。しかし、PNAは細胞内タンパクとの非特異的吸着、比較的水溶性に乏しい等の問題を抱えており、分子構造に改良の余地を有すると考えられる。
さらに、これまで報告されている核酸モデルのほとんどは、ターゲット鎖とのコンプレックス形成による遺伝情報の発現抑制を目的とする。単純な抑制的制御ではなく、コンプレックス形成能自身の制御、すなわち認識能の自在な制御が可能になれば、抑制効果のみならず核酸の機能発現の積極的なコントロールが可能になると考えられ、核酸認識分子の応用範囲がさらに広がることが期待される。核酸の水素結合に基づく塩基対形成・認識過程においては塩基部の配向が重要であり、塩基配向は糖部のコンホメーションにより影響を受けることが知られている。すなわち、フラノース糖を有する核酸認識分子において、外部因子により糖部コンホメーション変化を誘起し、塩基部の配向制御が可能になれば、認識制御が期待できる。
これらの観点から、我々は外部因子による認識部位のコンフォメーションならびに塩基部の配向の変化を検討し(図3)、RNAを認識部位として有する新規ペプチドリボ核酸(PRNA)の開発を行った。まず、外部因子による塩基部の配向制御が可能なヌクレオシド誘導体を探索した結果ついて述べ、この知見を基に設計・合成したPRNAの認識能制御について述べる。 一般にピリミジンヌクレオシドの塩基部は溶液中でanti配向を優先する。リボヌクレオシド糖部 2',3'-水酸基に架橋構造を有する誘導体ではsyn/anti比が増加していることが報告されている。しかしこのようなヌクレオシド誘導体の場合、外部因子による配向の可逆的な変化を誘起することは困難である。外部因子によるsyn配向の誘起を達成するため、(i)塩基部2位カルボニル酸素とフラノース部5'位水素間の水素結合形成、(ii)フラノース部2',3'-cis-ジオールとホウ酸類との架橋構造形成の共同効果の利用に着目した。
ホウ酸類はcis-1,2-ジオールと水中で可逆的にエステルを形成することが知られている。リボヌクレオシドにおいても2',3'位にcis-ジオールを有し、ホウ酸エステル形成による糖部コンフォメーション変化に伴う塩基部の配向変化が期待される。 この観点から5'位水酸基をアミノ基に変換した5'-アミノ-5'-デオキシリボヌクレオシド (5'-NH2-Urd) の合成し、塩基部配向を円二色(CD)スペクトルならびにNMRスペクトルにより検討した。5'-NH2-UrdのCDスペクトルをホウ酸緩衝液中で測定すると[q]max値は9800から1600にまで減少した。すなわち、ホウ酸類による2',3'間の架橋構造形成、ならびに分子内水素結合形成の共同効果によりホウ酸を外部因子とするsyn配向の誘起が達成されることが明らかになった。また、ホウ酸による5'-NH2-Urdのanti - syn 配向変化はNMR NOE スペクトルからも確認された。 この結果を踏まえ、5'-アミノリボヌクレオシドを導入した新しいカテゴリーの核酸モデルとして、ペプチドリボ核酸(PRNA)を設計・合成した。ホウ酸類よるPRNAのanti - syn 配向制御についてもCD, NMR-NOEを用いて検討した結果、5'-アミノヌクレオシド同様塩基部の配向制御が可能であることが明らかとなり、PRNAは外部因子によって可逆的に塩基部配向制御が可能な核酸モデルであることが示された。
最後に最も重要なターゲットDNA・RNAとの錯形成挙動、錯体安定性、そして錯形成・解離制御能を検討するために相補的塩基を有するポリヌクレオチドを用いて、ホウ酸類添加に伴う錯形成・解離挙動について検討した。 PRNAオリゴマーは固相合成法を用いてを得た。PRNAオリゴマーの塩基認識能を融解温度(Tm)を指標として、相補的塩基を有するDNAを用いて検討した。各コンプレックスの塩基ユニット比はUVスペクトルの淡色効果のJobプロットから1:1であることが明らかとなった。また、非相補鎖との混合溶液では淡色効果、Tmともに観測されなかったことから、PRNAとDNAの錯体は核酸塩基間の特異的水素結合により形成されていることが明らかになった。ウリジンを有するPRNA8量体とd(A)8のリン酸緩衝液中におけるTm値は、DNA錯体のTmと比較すると8℃高い値を示しPRNA は天然核酸と比較してより安定な錯体を形成することがことが明らかになった。また、UrdおよびCydを交互に有するPRNAの場合、アミノ末端と天然核酸の3'末端を同じ側に有する二重鎖がより安定に存在することが明らかになった。 一方、ホウ酸を添加するとPRNAとDNAの混合系ではどの系においてもTmおよび淡色効果は観測されなくなり、PRNAの塩基部がsyn配向を優先するためDNAとの塩基対形成が困難になったためと考えられる。
また、ホウ酸エステル形成にともなうホウ素上に生じる負電荷による両鎖の静電的な反発も塩基対解離の要因として考えられる(図5)。
以上のようにペプチドリボ核酸(PRNA)という新しいカテゴリーの分子を用いることにより、従来の単なる核酸の認識から一歩進んで、認識の外部因子による制御を行う新たな方法論を提案し、いくつかの具体例でその有効性を実証した。この方法論は一般性を有し、緒言で述べたように次世代の遺伝子治療用アンチセンス分子としてだけでなく、DNAチップなどの遺伝子診断薬や分子生物学への応用も大いに期待され、今後さらなる発展が期待される。
参考文献(抜粋) 1. Peptide Ribonucleic Acids (PRNA)2. A Novel Strategy for Active Control of DNA Recognition through Borate Ester Formation, T. Wada, N. Minamimoto, Y. Inaki, and Y. Inoue, J. Am. Chem. Soc., 122, 6900 (2000). 2. Synthesis and conformation control of peptide ribonucleic acid containing 5'-amino-5'-deoxyribopurinenucleosides. T. Wada, Hirofumi Sato, Narutoshi Minamimoto, Yoshihisa Inoue, Nucleic Acids Res., 43, (2000) 3. RecognitionControl of the NucleicAcidModelThroughConformationalSwitching of Nucleobase Induced by Borate Ester Formation ofcis-2',3'-Diol, T. Wada, N. Minamimoto, H. Satoh, and Y. Inoue, Nucleic Acids Res.Symp. Ser, 42, 145 (1999). 4. Syn/Anti Orientational Control of Pyrimidine Nucleosides and Apply to Regulation of Recognition, T. Wada, N. Minamimoto, Y. Inaki, and Y. Inoue, Nucleic Acids Res.Symp. Ser, 39, 29 (1998). 5. Isopoly-L-ornithine derivatives of the thymine and thymidine, Y.Inaki, N.Tohnai, K.Miyabayashi, and T.Wada, Nucleosides Nucleotides, 17, 339 (1998). 6. Conformational and Orientational Switching of Uridine Derivatives by Borates, T. Wada, N. Minamimoto, Y. Inaki, and Y. Inoue, Chem Lett, 1025-1026 (1998).