物性研究のためのナノ顕微分光学
<はじめに>
透過型電子顕微鏡(Transmission electron microscope: TEM)は、光学顕微鏡のような
100倍程度の倍率から、原子直視を可能とする数百万倍までという非常に倍率可変範囲の
広い顕微鏡です。そのため、我々の肉眼で確認できるサイズの試料の一部を選択し、その
領域をナノメートルの空間分解能で観察することができます。この、マクロスケールとナ
ノスケールを容易につなぐ機能はTEMに特有です。すなわち、TEMと分光学を組み合わせれ
ば、ナノ顕微物性科学が可能となります。
このため、電子顕微鏡法に基づいた局所的な物性解析技術は、高集積化した半導体デバイ
スの解析だけではなく、多結晶体の性質を支配する粒界物性やナノチューブ等などの量子
物体の物性解明にもきわめて重要です。
<高速電子を使った分光法>
TEMで試料を観察する時は、高速電子線(光速の50%以上のスピードです!)が試料に照射
されています。この高速電子が試料中の原子とクーロン相互作用(非弾性散乱)た結果、
原子が励起(電子の励起)される場合があります。
非弾性散乱で励起エネルギー分だけのエネルギーを失って透過してくる電子の損失エネルギー
(=励起エネルギー)分布を調べるのがEELSです。
EELSの損失エネルギーが50eV程度以下の価電子励起スペクトル(図参照)
からは、バンドギャップエネルギーやプラズモンエネルギーが得られます。また、このスペ
クトルから損失関数(Im[-1/ε], εは誘電関数)を導き、クラマース・クローニヒ解析を用
いることで誘電関数εや結合状態密度JDOSを得ることができます。
εが得られれば、反射率や複素屈折率も計算することができます。したがって、価電子励起
スペクトルの測定は、赤外から近紫外までの光学実験に対応します。
EELSで損失エネルギーが50eV以上の領域には、内殻電子の伝導帯への励起(図参照)に伴
う構造(内殻電子励起スペクトル)が観測され、伝導帯状態密度分布
(正確には部分状態密度分布)の情報が得られます。これはX線吸収分光や逆光電子分光に
対応します。
このように、EELSを用いるとめて多くの電子状態に関する情報を得ることができます。しかし
ながら、可視光領域(2-3eV)の物性データを測定するためには、モノクロメータを搭載した
TEMが必要となります。我々は、日本で唯一、モノクロメータTEMを用いたEELS研究
を行っているグループです。
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図で、内殻電子が励起されたあとに残る内殻ホール状態は、原子の高エネルギー励起状態で
あり極めて不安定です。原子は、この状態から基底状態に戻るため、より高いエネルギー準位
にある電子(浅い内殻の電子もしくは価電子)が内殻ホールへ遷移します。このときの余分な
エネルギーを電磁波(X線)として放出する場合(XES、図参照)と、電子を放出する場合(オー
ジェ電子放出)があります。電子顕微鏡でのXESは、EDSやWDSという名前で知られており、元素
分析に日常的に用いられている手法です。
X線放出の中でも、エネルギーが1000eV程度以下の軟X線から100eV程度以下の超軟X線
領域の発光分光を行うとすると、価電子帯の電子状態密度分布
(正確には双極子遷移則に従った部分状態密度分布)を得ることができます。
この理由は、エネルギー分布を有する価電子が、エネルギー分布の狭い内殻準位(内殻ホールの
寿命に依存、束縛エネルギー1000eV以下では0.5eV程度以下)に遷移する際に放出されるエネル
ギーだからです(図参照)。
軟X線発光分光(Soft X-ray emission spectroscopy: SXES)極めて発光効率が低いのですが、
EELSでは得られない情報を与えてくれます。また、価電子帯の研究でよく知られているは光電子
分光法は金属以外への適用に難点(試料のチャージアップ等)がありますが、SXESではそれが無く、
超高真空も必要ありません。
このように魅力的なSXESを電子顕微鏡で実現しているのが、
世界で唯一、我々の研究グループです。
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