フランス渡航記 (2009年1月15日〜2月1日)


京谷研究室 修士課程1年生 菅野康之
 時は2009年12月、年の暮れである。私がフランスに渡航させていただいたのは2009年1月のこと。早1年が経とうとしている。渡航記提出期限の12月31日を目前にして、新型インフルエンザという流行病を患いつつも、ついに私は満を持して筆を執ることにした。
 私たちがお世話になった研究所はこじんまりとした近代的な建物であった(写真1)。所内のメンバーは大半がフランス人から構成されているのかと思いきや、ドイツ、ブラジル、スペイン、インドと非常に多国籍の人種が混在していて、それでもみんなが家族のように仲が良いことに驚いた。だからかもしれないが、私たち(まともな日本人と変なタイ人の凹凸コンビ)が初めて研究所を訪れた際も、みんなすぐに快く受け入れてくださった。
 私たちが現地で行った実験は、炭素被覆したアルミニウム陽極酸化(AAO)被膜にタンパク質の一種であるウシ血清アルブミンを吸着させ、それをTPDによりガス化し、その成分を調べることで吸着したたんぱく質を定量するというものであった。これが成功すれば、炭素被覆AAO皮膜をバイオセンサーとして応用できる可能性があるらしい。サンプルの調製法やTPDの解析法については、主にインド人のビジェイから教えていただいた。しかし、TPDそのものの測定法に関しては、ガスラインが少々複雑に組まれていることもあって、エンジニアのセッピもしくは同様の測定を行っているフィリップに教わることが多かった(お世話になった人の写真は写真2〜4に掲載)。また、自分たちが日本で行っている研究についても、キャシー教授のご配慮で現地の人々とディスカッションする機会を設けていただいた。
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写真1 ミュルーズの研究所外観。建物内もとても綺麗だった。
fig.2
写真2 ビジェイとの2ショット。親切な好青年で、彼の家でインドの映画を見せていただいた。
fig.3
写真3 セッピとの2ショット。「ハローハロー」が口癖の、気さくなおじいちゃんだった。
 現地での実験や自分の研究に関するディスカッションを通じて痛感したことは、英語を使った論理的な会話の難しさである。私は4年次から英会話スクールに通っていたので、日常会話程度の英語にはそれなりの自信があった。しかし、研究に関する会話を専門用語を交えて、かつ論理的に行うというのは予想以上に難しかった。実験やディスカッションの際に、わからないことは極力自分から聞くように努めてはみたものの、それでもわからないときはソムラックに通訳してもらった。その時ばかりは「やはり海外経験が長い人は違うな」とちょっとだけ尊敬した(変なタイ人とか言ってすみませんでした)。
休日には、滞在先のミュルーズを飛び出して遠出することが多かった。ストラスブール、ナンシー、ブザンソン、コルマールといろいろ見て回ったが、日本には無い歴史的建造物のスケールの大きさに度肝を抜かれることが多かった。天候にも恵まれ、中でもブザンソン近郊にある世界遺産「アルケ・スナンの王立製塩所」は圧巻であった(写真5)。しかしながら、旅の途中でやたら不運なハプニングに見舞われた。
fig.4
写真4 フィリップとの2ショット。聞けば何でも丁寧に教えてくれる好青年だった。
fig.5
写真5 アルケ・スナンの王立製塩所。実は写真中央に謎のタイ人が写りこんでしまった。
@ トイレ長すぎる事件 どっかのタイ人のトイレが長すぎたせいで予定の電車に乗り遅れ、駅で2時間待ちぼうけを喰らった。ホテルに戻ったら23時を回っており、正門も閉まっていた。旅の連れにトイレが長すぎる人がいる場合は要注意。
A バイク大炎上事件 早朝、電車を途中下車して散歩していたら、遠くで何かを指差して奇声を上げる変 なおじさんを見かけた。おじさんの指差す方をよく見たら、民家の軒先でバイクが大炎上していた。私たちは急いで近くのパン屋に駆け込み、電子辞書で「(フランス語で)火事」という単語を見せて現場に案内し、警察を呼んでもらった。電子辞書、万歳。
B 食中毒事件 旅行先で食べた晩御飯で食当たりを起こし、翌日研究室に行けなくなった。たぶんアヒルの肝臓に当たった。生ものには要注意。
C 「Make a Wish !」事件 日本に帰国する前に寄ったパリでの事件。現地で有名な教会を見学しに行こうとしたところ、教会の目の前でいかつい黒人2人組に囲まれ、「Make a Wish ! Make a Wish !」とまくし立てられながら腕に無理やりミサンガを巻かれた。すると今度は「50 Euro ! 50 Euro !」と言ってまくし立ててきた。逃げようと思ったが行く手を阻まれ、泣く泣く50ユーロ(6500円位)を払った。黒人、本当に怖い。
 このような感じで休日には散々な目に遭ったが、今回のフランスへの渡航は、外国の研究現場の様子や自らの英語の拙さを実感する上で非常に意味のあるものであったと確信している。私は就職してからも、仕事の関係上、外国人との付き合いが多くなることが予想される。そのため、特に研究やビジネスの場面を想定した英会話に磨きをかけ、外国人と対等にディスカッションできるエンジニアになっていきたいと思う。
 最後になりましたが、このような青二才に貴重な経験を得る機会を与えて下さった京谷教授、そして飛行機やホテルの予約等の諸手続きに関して親切にも手伝って下さった桜井さんに深く感謝の意を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。