卒業生からのメッセージ

第8回 星拓也さん(2008年度・修士課程卒) [2023年3月10日掲載]

     ~変わりゆく時代の中でも変わらない材料との向き合い方~

 ■当時の研究内容■

 窒化アルミニウム(AlN)と、ガリウムとの三元混晶(AlGaN)の分子線エピタキシャル成長(MBE)に関する研究に従事しておりました。特に当時最先端だった、高品質非極性面(m面)GaN基板を用いた高Al組成AlGaN系の結晶成長と、その結晶学・光学的な議論については、多くの最先端サンプルが集まる秩父研でしか成しえない、非常に崇高な研究に携わらせていただいたと認識しております。今でこそ、GaN単結晶は当たり前に入手できる時代になりつつありますが、当時はまだ始まったばかりで、それらを使用できるのは一部の限られた研究機関のみでした。細長いm面で切り出したGaN基板を実際に手に取り、それを惜しげもなくへき開し、X線を舐めるようにあらゆる角度で測り倒し、その上に膜をつけていたあの頃は、私の人生で最もアドレナリンが出ていた時期だと思います。
 …という、カッコいい部分だけが、当時の私のすべてではありません。私は、つくばから仙台に拠点が移行したときの学生でした。なので東北大学での最初の1年は、MBE装置の立ち上げが私の研究だったといっても過言ではありません。台車を効率的に押すためのエネルギ消費の少ない体重のかけ方の考察や、ICFフランジ13か所(くらいだった気がします)の同時リークチェックをしたのは、いまでも良い思い出の一つです。立ち上げ後、最初に積んだGaNが真っ黒だったのも忘れられないですね。

 ■当時の良かった点■

 秩父研の良いところは、「時代の最先端が集結する」ところだと思います。秩父研の技術力の高さは世界的にも認められており、多くの企業や研究機関から送られてきた最先端の試料に触れることができます。どこか一つの企業に属してしまうと、そういった環境には二度と出会うことはないでしょう。それら最先端が一同に会した叡智の集合体のような状況は、若い自分が成長するには申し分のない環境だったと思います。
 また、大学の研究室は、駆け出しのうちは低予算で小ぢんまりとした研究に制限されがちです。あるいは設備的な理由から、シミュレーションや計算中心の研究になってしまうこともあります。それが悪いわけではありませんが、アイディアの具現化や実証には、自由度の高い(制限の少ない)研究開発体制と、ある程度の規模感が必要なのは言うまでもありません。少なくとも、秩父研究室においてこれらが制限されることは稀有であり、研究したいという強い意欲に対しては、とことん突き詰めていくことができる場所だったと思います。

 ■現在の仕事とのつながり■

 企業の研究所に就職し、主にインジウム燐系材料を用いた、通信用超高速トランジスタの研究に従事しております。有機金属化学気相堆積による結晶成長により、世界で一番速いトランジスタを作ることにも成功しました。またその過程で、インジウムヒ素系やアンチモン系材料にも着手したことがあります。最近ではGaNやAlNの通信用電子デバイス開発にも携わっており、国際会議IWN2022(@ベルリン)で秩父先生とお会いする機会もありました。学生時代から考えると、狭ギャップからワイドギャップまで、結晶成長・デバイス作製まで携わった経験のある(割と稀有な?)人材になりつつあります。ただ、時代が変わって成長装置や評価技術が進歩しても、そこにある材料の物理的な事実は揺るぎません。そして、私の根底にある半導体材料との向き合い方は、他でもなく秩父研で培ったものだと思います。

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学会の合間に天橋立へ



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東北大1年目のBBQ大会の様子

第7回 大森拓也さん(2004年度・修士課程卒) [2023年2月10日掲載]

     ~技術者としての私の原点~

 ■当時の研究内容■


 ヘリコン波励起プラズマスパッタ(HWPS)法による酸化物半導体・誘電体の薄膜形成


 ■当時の良かった点■


 私は大学院修士課程で筑波大学の秩父研究室に入りました。他の卒業生同様にとにかく自分の手で実験装置や設備の立ち上げをしていたのを覚えております。秩父先生はよく実験装置はF1マシンと同じで自分たちの手で作りあげて行く必要がある、既製品だけでは新しいことはできないとおっしゃっておりました。先生も自ら鼻歌を歌いながら朝から夜遅くまで一緒に作業をし、溶接棒片手に配管作業したり、ドリルで床に穴をあけてアンカーを打ち込んでおりました。確かにお金をかけて装置を購入し専門業者に設置も外注した方が早いかもしれませんが、自ら立ち上げて装置の原理原則を理解すれば壊れた時に修理もできますし、カスタマイズもできます。学生時代には研究者・技術者としての基本となるような経験をすることができたと思っております。
 研究室内での研究進捗報告会や合宿は楽しさの中にもピリピリした雰囲気もあり緊張いたしました。学術内容に関する矢継ぎ早の質問はもとより、学術的に正しい日本語の使い方に至るまで指導を受けたのを覚えております。一方、研究室内でもまれたことで、外部の学会などでは自信をもって堂々と発表することができたと思います。


 ■現在の仕事とのつながり■


 大学院を卒業してからは研究職ではなく企業の生産管理の技術者として働いております。現在の仕事は大学での研究とは直接的なつながりはございませんが、前述の通り研究者・技術者の基本や仕事への向き合い方は不変だと思います。PCの前に座っているのではなく、自ら手を動かし行動し、物事の本質や課題の真因を見極める。テクノロジーが急速に発展していく中で今後エンジニアとしてますます必要になっていくスキルだと考えております。

第6回 澤井泰さん(2009年度・修士課程卒) [2023年1月9日掲載]

     ~透明材料の研究によって養われた「イメージ力」の恩恵~

 ■当時の研究内容■

 近紫外LEDや超低消費電力レーザーの実現を目指し、酸化亜鉛材料(ZnO、MgZnO)の研究を行っていました。具体的には、東京電波(現:岩手村田製作所)が開発に成功したばかりの高品質なZnO基板上に、秩父研独自の成膜技術を用いて単結晶薄膜を形成する研究です。当時、発光デバイスとして大成功を収めている窒化ガリウム(GaN)に、物性・コスト面で高い潜在能力を持つZnOが挑戦する構図で、両材料の研究で素晴らしい成果を上げている秩父研に興味が湧き、他大学から東北大の門戸を叩きました。

 ■当時の良かった点■

 研究テーマのZnOは基板も薄膜もガラスのように透明で、肉眼では善し悪しが分かりません。透明材料の研究は、裸の王様が裸では無いことを証明をしているようでした笑。そんな中、役に役立ったのが「イメージ力」です。秩父研の輪講会では、半導体物理の理解に留まらず、理論を頭の中で自在に動かすイメージ力が鍛えられます。例えば発光特性がテーマの場合、先生方や先輩が薄膜に取り込まれる不純物の種類や濃度を変数として指定し、発表者は発光特性がどう変化するかホワイトボードを用いて即興で説明します。自然と頭の中に小さなシミュレータができるので、発光特性が得られた段階で薄膜の品質を把握でき、直ぐに次の実験にフィードバックを掛けられるようになりました。この脳内シミュレータは現在の開発でも役立っています。私の在籍は修士課程の2年間でしたが、国際学会での発表、学術論文への投稿を経験でき、幸運にも応用物理学会の講演奨励賞を受賞できました(おかげさまで奨学金の返済免除に繋がりました笑)。
 有意義な研究ライフには生活環境も重要です。秩父研がある片平キャンパスは東北帝国大学の発祥の地で、秩父研が所属する多元物質科学研究所を始め、金属材料研究所、電気通信研究所など著名な研究施設が多数あり、研究者同士の交流や装置の共同利用が可能です。また、片平キャンパスは仙台中心部と直結しているため、安くて美味しい食堂やおしゃれなカフェが立ち並び、研究生活を充実させてくれます。加えて、仙台は穏やかな気候で(国内主要都市で真夏日・真冬日の合計が最も少ない)、降雪量は東北としては非常に少ないので、他の都道府県の方々も快適に過ごせるのではないでしょうか。

 ■現在の仕事とのつながり■

 卒業後は国内の半導体メーカーに入社し、発光素子の開発やシリコンバレーでの技術営業を経て、現在はドイツの拠点で炭化ケイ素(SiC)のウエハ開発に従事しています。SiCは自動車電動化の鍵となる半導体材料で、ZnOやGaNと同様に透明です。秩父研で培った透明材料の半導体物理をイメージする力と、入社後に学んだデータサイエンスを融合させ、SiCウエハの高品質化・大口径化に取り組んでいます。現在秩父先生が研究されているGaNの単結晶基板を用いたパワーデバイスは、SiCビジネスにとってライバルです。先生の論文発表やプレスリリースを通じて、現在も良い刺激を貰っています!

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米国の国際学会(ISCS 2009)に参加



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数年後の米国駐在時は100マイルマラソンにも挑戦

第5回 古茂田(旧姓:瀬戸口)晶子さん(2000年度・修士課程卒) [2021年11月1日掲載]

     ~秩父さんから教えてもらった自分への闘争心~

 「何のためにこの勉強が必要なのか?」わからないまま生きていました。電磁気学や半導体工学における、なんとかの方程式、なんとかの定理などなどです。何かがしたいとか、何かになりたいとか明確な目標がないまま、決められた範囲を決められた通りに、ただ解答方法を覚えるだけの勉強をして学部時代を過ごしました。私のように、大学に入った時点で目標を見失う人は少なからずおられるのではないかと思います。さて、そんな私ではありますが、秩父さんには特別に師事しておりまして、秩父さんが東京理科大学、筑波大学、東北大学と赴任する先々にくっついて回るという豪快な研究者生活を送らせていただきました。その間、国際学会で発表することができたり、世界の第一人者達と共同研究することができたり、語りつくせないほどの経験をさせていただいたのですが、興味のある方は『論文リスト☞』へどうぞ。・・・とさせていただくとして、ここでは研究以外に秩父さんから何を教わったのかを寄稿したいと思います。

 私は秩父さんと出会い、「こんなにも闘争心にあふれた人が世の中にはいるのか!」と驚愕し、闘争心を持つことの大切さを教わりました。ここで言う闘争心とは、他人に対して持つものではなく、自分に対して持つ闘争心のことです。言葉で正確に表現をするのは難しいのですが、今の私は、人より楽をして人の上に立つことはできないと信じています。人の何倍も悔しい思いをすれば、人の何倍も優しい人間になれると信じています。小さな闘争心は小さな成果に、大きな闘争心は大きな成果に繋がると思っています。そして、大きな闘争心を持つ人だけが、人の何倍も悔しい思いをすることができると思っています。秩父さんは情熱の人です。寝る時間を惜しんで、人よりも努力をして、人よりも悔しい思いを乗り越えて、そうして今を創り上げた人だと思います。研究業績が世の中の進歩発展に貢献したラッキーな人なのではなく、常に課題を的確に捉え、立証する方法を誰よりも考え抜いた人だと思います。その原動力が自分への闘争心であり、私は秩父さんから闘争心を持つことの大切さを学びました。

 皆さんは何のために研究をしますか?自分の研究テーマの大義名分を自分の言葉で語ることができますか?私は今、京セラ株式会社で研究開発の仕事をしています。研究テーマは3~4年の期間で変わります。当然、専門外のテーマにも配属されます。自分がいなければ他の人が取って代わる組織の中で、何度も諦めたくなる出来事がありました。それでも、自分に与えられた研究テーマの大義名分を自分の言葉で語ることができるまで考え抜けば、必然的に努力するようになり、1つ成果が出れば研究が楽しくなって更に努力するようになる、そうやって研究開発の仕事を続けています。大きな目標さえ持っていれば些細なことが気にならなくなり、人にも優しく対応することができるようになります。結果的に良い仲間が自分の周りに集まるようになります。社会の中で成功するための秘訣は誰も教えてくれませんが、自分で学習することはできます。どんな研究分野にでも通用する「秩父学」をぜひ皆様にも経験していただきたいなと思います。自分への闘争心を持ち続ける勇気をぜひ。

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筑波大学にて中村修二教授と記念撮影



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筑波大学での研究室立ち上げ風景

第4回 杉山睦さん(2003年度・博士課程卒) [2021年10月11日掲載]

     ~学生時代に接した“研究以外のコト”の大切さ~

 学部時代は半導体に関する知識や勉強量が多かったわけではなく、学部卒で就職する予定だったので、「電磁気演習を習ったことのある先生」くらいの気持ちで、秩父先生が当時助手だった研究室を気軽に選びました。秩父先生の教育方針の良いと(個人的に)思うことは、学部学生だから・新人だからといった差別・別け隔てなく、やりたいといえばなんでもやらせてもらえることでした。まだインターネットが一般に普及する前の時代に研究室のホームページを立ち上げたり、狭い研究室の居室に4年生が勝手にロフトを建築したり、今考えれば研究室に入ってきたばかりの4年生によくそんなことやらせるなぁと今なら思いますが、おかげで「あ、修士に進学しても楽しいのかも」と思うようになりました…。並行して、理論は全く理解できないままInGaNのPL(当時、不均一性と発光メカニズムの相関関係がちょうど明らかになる時期でした)測定を手伝っていくうちに、多くの著名な先生方の打ち合わせに同席させていただけるようになったりして、学部生でも「ホンモノの研究者」を目の当たりに出来る環境が心地よくなり、(進学する気がなく推薦入試の権利を放棄してしまっていたので)受験して大学院に進学しました。当時は私立大学の東京理科大学だったので、学費を考えて博士は念頭になく就活をしていたのですが、秩父先生が筑波大学に移ることを修士1年の3月に宣言され、気がついたら2ヶ月後には就活を辞めて筑波大学に進学することに決めていました…。

 今考えると、結構イイカゲンな人生の決断の連続だなぁと思うのですが、秩父研には「人生を任せてもまぁ大丈夫だろう…」という(上手く言えませんが)空気がありました…。当時はカネも装置も貧弱で、キムワイプすらケチケチ使う研究室でしたが、それでも研究に対する貪欲さと、研究方針のセンス、そして装置や測定系の改造能力など、将来研究者(アカデミックでなく企業に就職する場合でも)として、身に付けないと生き残れないことを、気がついたら学部生時代から修得できていたわけで、今考えるとありがたいなと思います。有名な研究室だと、学生はプロジェクト予算で買ったブラックボックス装置をいじくって先生にデータを出すことも多い時代で(それが良いという学生もいるので否定はしませんが)、装置を作って、評価系を作って、データを直接共同研究者と対等に議論する場を学部時代から与えてくれる研究室は(主宰者からみれば効率悪いので)そう多くないと思います。

 おかげさまで博士課程の後は、秩父先生が助手として働いていた(私が修士まで所属していた)研究室の助手になり、そのまま今では研究室を持つまでになりましたが、結局杉山研の研究室ポリシー≒秩父研の(当時の)ポリシーになっていますので、学生時代に受ける研究教育って大切だなぁと思います。学生から見ると研究者は皆立派に見えるかもしれませんが、アカデミックでも企業でも、口だけ達者で研究センスの無い・出来の悪い研究者が多くいます。箸の持ち方や鉛筆の持ち方は大人になってから矯正するのが大変で、最初に持った時にキチンとしておくことが大切なのと一緒で、(天才は別として)普通の理系学生にとって「最初に属した研究室・指導教員の学生に対する研究センス・能力が、学生のその後の人生まで左右する」と思います。よく「大学時代○○の研究すると将来△△関係の企業に就職できますか?」的な相談を学生から受けますが、研究活動は常刻々と変わっていきますので、“5年後に役立つ研究テーマ“なんて誰にもわかりません。でも、どんな研究テーマでも、それを通して「研究センス」を身につけておけば、きっとどんな分野に変わっても成功すると思います(実際私は、秩父研時代の7年間で扱ったGaNの研究は、独立後はほぼ行っていません…)。そういう意味で、秩父研にあまり熟考しないで人生を任せてしまって、結果良かった反面、今度は私自身が研究室を運営する立場なので、秩父研で育んだ(はずの)研究センスを学生にきちんと伝えていかなければと思うばかりです…。

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学部4年生(1997年)のときにはじめて発表した国際学会(ICNS-97)で、秩父先生(右)と中村修二先生(中央)と…。

第3回 八巻譲さん(1998年度・修士課程卒) [2021年8月3日掲載]

     ~研究活動での学び・経験、20年以上経ってもしっかり生きています!~

 ■当時の研究内容■

 CIS系薄膜太陽電池の電力効率向上を目指し、秩父先生ご指導のもと、各機能膜積層時の下地層へのダメージ低減のため、ヘリコン波励起プラズマスパッタ法を適用した透明導電膜の成膜方法を主に研究していました。

 ■当時の良かった点■

 大学4年当時、先輩につれられスパッタ装置のステンレス治具を町工場に持ち込んで加工してもらったり、機械工学科の工作室でスパッタリングのターゲットとなるZnO焼結体を配置する治具を作成、角度調整を試行錯誤したりと装置づくりからスタート、「ヤクルトスワローズに学べ」と先生のご指導のもと、ヘリコン波励起プラズマ発生のためのアンテナも銅板を自分たちで形状加工して作成したり、考えながら一から作っていくものづくりを体験することができました。大学院時代には国内研究会から国際学会まで多くの発表機会をいただき、特に当時イギリスのサルフォードで開催されたICTMCに参加した際は、学会直前のベルリンのハーンマイトナー研究所訪問、研究所の方々とのパーティなど、第一線の研究者の方々との交流、”English Only!” と温かいご指導あり、その後のロンドン周遊・ビートルズ発祥の地訪問とともに大変有意義な時間をいただきました。在学期間通して秩父先生の研究者としてのご活躍を間近で感じながら(よく「ネクタイ締めたら研究者は終わりだ!」と言われた記憶があります。)、研究室メンバーとのオフタイムも大切にされながら研究グループとして一体感を醸成される中に身を置くことができ、大変勉強になった3年間でした。

 ■現在の仕事とのつながり■

 現在は半導体集積回路設計から化合物半導体デバイスを手掛ける国内メーカーに勤務し、ハイエンドオーディオ製品開発に携わっています。製造プロセスの理解に半導体物性の基礎知識を活かしつつ、集積回路上の素子の非線形性や寄生成分の影響を考えながら開発チーム一丸となって製品価値向上に取り組んでいます。当時と現在の仕事の一番のつながりは、研究に対する姿勢や反骨心のように思います。想定外の問題が発生した時、組織の中で生じる様々なことを、自分の糧にしながら仕事をすることができていると感じています。

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学生当時ベルリンのハーンマイトナー研究所を訪問

第2回 吉田丈洋さん(2000年度・修士課程卒) [2021年6月28日掲載]

     ~粘り強く取り組んでの成功体験は糧~

 研究室在籍当時、私は、秩父先生が考案されたヘリコン波励起プラズマスパッタ法を用いて、サファイア基板上へのZnOのエピタキシャル成長の研究を行っていました。実験を繰り返しても多結晶しか得られずくじけそうになったこともありましたが、苦労の末、初めてエピタキシャル成長に成功した時の感動は今でも忘れられません。私は先生が筑波大学に着任された年の学生でしたので、何もない埃だらけの空の研究室のインフラ整備から始めて、ある一定の研究成果にたどり着けたその喜びはひとしおでした。エピが得られたことでX線回折による評価にも多大な興味を抱くことができました。この経験から化合物半導体の結晶成長に興味を持ち、長きにわたりGaN基板の代表的なメーカーでGaN基板の高品質化に関する研究を行ってきました。そこでX線回折に関する知識がかなり役立ち、幾多の目覚ましい成果を上げることにつながりました。それらの成果が認められ、今年、気相成長の装置メーカーに転職することもできました。

 秩父先生から受けたご指導はすべて現在の仕事に活きていますが、中でも、学術的な話ではないのですが、「その一回の実験にどれだけのコストがかかっているのか試算してみろ」と言われたことが強く印象に残っています。これは浅い考え、といいますか、何も考えずに適当に条件を変えて実験をしていた私を戒めるためのご指導でありました。秩父先生は企業での勤務経験がある先生ですので、特にコスト意識が高いのだと思います。おかげ様で学術的によく考えて実験する癖が身に付き、コスト意識が特に重要である企業の研究者として、長期にわたり活躍できる人材になれました。

 これまでの私の人生を振り返ってみると、秩父研究室で大学院生活を送れたおかげで、私のキャリアを築き上げた前職の選択につながり、その前職で目覚ましい研究成果を上げる土台を培っていただけたおかげで学位も取得でき、研究発表で目立つこともでき、そのおかげで現職への転職にもつながって、宝くじの1等に当たることと同じくらい、本当に幸運だったと思っています。

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第1回 尾沼猛儀さん(2003年度・博士課程卒) [2021年5月10日掲載]

     ~「物理」と「工学」の融合がここにある!~

 研究室在籍時は、III族窒化物半導体薄膜の光物性計測を主に行いました。当時、筑波大学にあった研究室で、チタンサファイアレーザーなどの最先端の装置に触れつつ、分子線エピタキシー装置などの結晶成長装置の立ち上げを行ったことを懐かしく思います。光物性は主にアルミニウムを含む窒化物半導体の計測を行いました。今となっては、265 nmや280 nmなどの深紫外線LEDが商品化されていますが、当時は、高輝度青色、緑色LEDや青紫レーザーダイオードの次は紫外線光源をLEDで!ということで、世界中の研究者が開発競争を行っていました。その中で、世界最高品質の結晶を手に、最新のデータを国内外の学会で発表する機会をたくさんいただけたことは、なかなかできる体験ではなく、今考えると、とても幸運だったと思います。

 精密な物理計測から、半導体の結晶成長、ガス配管やガラスの溶接加工まで、信じられないペースでマルチにこなす秩父先生から、研究者としての「いろは」を教えていただきました。AI機能の登場により、実験装置のオートメーション化が加速度的に進んでいますが、マニュアルな装置から捻出した研究成果は、ときにオートマチックな装置では出せない「色づき」を醸し出すことがあります。少し抽象的な表現ですが、その色がうまく出せたとき、「物理」と「工学」の融合が起こるかもしれません!?まずは、その色を見分ける目を養う必要がありますね。私は、研究室で、その見分ける目を身に付けることができたと考えています。

 現在は、工学院大学先進工学部応用物理学科に専任教授として勤務し、固体物理学、光物性などの講義や学生実験の指導を行いつつ、研究活動を行っています。対象は主にワイドギャップ酸化物・窒化物半導体です。秩父研で養った目で、今日も学生と一緒に楽しく研究活動に励んでいます。

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OB・OG会

 2018年10月28日 第4回秩父研OB・OG会を開催しました!